記事作成:2025年1月5日
本記事は蛇窪神社の斎藤宮司さんにご取材をした内容をもとに作成しております。
本記事の目次
1:ご取材の経緯
2:神社創建の歴史
5:境内地の蛇と龍
6:地域との関わり
ご取材の経緯
神社創建の歴史
1322年、東京・埼玉一帯が大干ばつに見舞われて、食べ物がとれない飢饉となりました。当時この地に住んでいた法密上人が、蛇窪龍神社において1週間の雨乞いの断食祈願を行いました。
上人の行いとご神霊のお助けによって大雨が降り注ぎ、ついに危機的状況から脱却するこおができました!
これに感激した人々が蛇窪の地に天照大神(あまてらすおおみかみ)をご勧請したのが、現在の蛇窪神社の縁起とされています。(荏原区史)
まさに神仏習合の時代ですね!
神社のお名前の変遷
創建当時の社名は神明社でしたが、その後村社に昇格して「天祖神社」に改名されました。そして、直近の令和元年5月1日より、御大典を記念し、また、地域の発展を祈念して、神社名の問い合わせの多い別称「蛇窪神社」を通称表記に格上げされました!
蛇の神社としてのいわれ
元々の地元の神様(地主神)は龍神様でした。
神社が建立されて後の鎌倉時代。神社境内内にあって、白蛇様がすまわれていた泉の湧き出る洗い場がなくなってしまったと、地元の方の夢枕に現れた。
これを受けて地元の方は池を掘って石窟(せっくつ)=いわやを作って、そこを白蛇様のすみかとした。↓
その中にお社を作り、広島厳島神社様より御神体をいただいてお祀りしたのが白蛇辨財天社になられます。
境内地の蛇と龍
境内地の一角に、蛇がたくさんと、龍がいらっしゃる場所があられましたので、ここについても聞いてみました!
龍神様のお社の周りには7匹の白蛇様が祀られていますが、、
神様の使いである白蛇様が8匹目で龍神様に出世されることを表しています。
身が立つ=巳が龍(みがたつ)
立身出世のご利益がございます。
なるほど!蛇が龍になるのですね!鯉が龍はよく聞きますが、たしかに蛇さんと龍さんはよくいろんな神社で同じところで祀られているなと思っていましたがそういう理由があったとは!
地域との関わり
18年ほど前から地域の町おこしにかかわるようになられたそうです。商店街は当時お店が減少傾向にあって、神社としても何か地域の役に立てないかと考えておられました。
歴史的にも、町は旧蛇窪村から白蛇様が戻ってこられた水運ルートということもあり、まずはお土産的なものを作れないかと考え、生まれたのが、巳饅頭(へびまんじゅう)で、品川区の認定土産にまでなられました!
その後は機運がかわり、町と神社が連携して、スネークマップや、蛇の街頭など、様々な取り組みが生まれてこられたとのことです。
巳の日(みのひ)、己巳の日(つちのとみのひ)
干支暦のうち、巳の日(みのひ)は金運・財運が上がる日とされ,12日に一度やってきます。さらに60日に一度、巳の日よりさらに金運が上がるのが己巳の日(つちとみのひ)です。なんとこれらの日はそれぞれ特別祈願がある神社も!特に己巳の日には多くの参拝客でにぎわいます。
特に、こちらの天然記念物「岩国のしろへび」の脱皮と、蛇窪大明神のお札を、白蛇辨財天社でご祈願された夢巳札(ゆめみふだ)が有名です!
まとめ
いかがでしたでしょうか!ぜひ皆様も蛇窪神社さんにお参りの際には、こちらの記事もみながら見どころをがっつりご覧くださいませ!
どうも!えいしょうです。今回は蛇窪神社さんに取材した内容を記事にしました!蛇窪神社さんとつながったきっかけは、AfternoonTeaさんの企画のおつなぎをご依頼いただいたことがきっかけでございます。蛇窪神社のご神紋をお借りして、授与品・商品が制作されました。