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七社神社 和田さん

寛成五年(1793)の火災により古文書、古記録等を焼失したため歴史は詳らかではありません。 しかし、翌年9月秋分の日に御社殿は再建され、故にこの日を当社の大祭日と定め、現在も賑やかなお祭りが執り行われています。当時は仏宝山無量寺の境内に祀られ、「江戸名所図会」には無量寺の高台(現・古河庭園内)に「七社(ななのやしろ)」として描かれています。

明治時代になり、元年(1868)に神仏分離が行われ翌2年に一本杉神明宮の社地に遷座され、西ヶ原村の総鎮守として奉祀されるに至りました。

また、「新編武蔵風土記稿」には、「西ヶ原村七所明神社、村の鎮守とす紀伊国高野山四社明神をおうつし祀り、伊勢・春日・八幡の三座を合祀す故に七所明神と号す。末社に天神・稲荷あり云々」と記されています。

さらに、この境内から隣地にかけての一郭は「七社神社裏貝塚」として知られ、縄文土器・弥生土器・土師器(はじき)等が発見され古代人の生活の場であった事がうかがわれます。現在でも、西ヶ原・栄町の総鎮守として篤い崇敬を集めています。(公式HP引用)

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