はじめての大祓
ー 茅輪くぐり ー
❝茅の輪くぐり❞とは?
「茅の輪」とは茅や葦などを編んで輪の形にしたものです。
茅や葦は古くから浄化の力がある植物とされています。
夏越しの大祓では、神社の入り口や参道に置かれ、参拝者はこれをくぐり半年の穢れを祓い、清めます。
しかし、ただくぐれば浄化されるというわけではありません。実はくぐる時にも作法があります。
左、右、左 の順で八の字を描くように三回通ります。
茅の輪をくぐる際はこのようにくぐりましょう!!
素戔嗚尊と蘇民将来
実は、茅の輪くぐりの風習は『古事記』や『日本書記』でもおなじみの素戔嗚尊が深く関わっているのです。
伊邪那美尊が黄泉の国から帰ってきた際の禊により生まれた素戔嗚尊。日本の太陽神である天照大御神と夜を統べる神である月読命の兄弟です。
お話は神代までさかのぼります。
ある村で蘇民将来と巨旦将来という二人の兄弟が隣合わせで住んでいました。
兄である蘇民将来はとても貧しい生活をしていましたが、反対に弟の巨旦将来はとても裕福な暮らしをしていました。
ある日、巨旦将来の家に旅人が訪ねてきました。その旅人が一晩宿を乞うたところ、巨旦将来はその旅人のみすぼらしい姿を見てそっけなく断ったのです。
困った旅人は隣に住んでいた蘇民将来のお家を訪ねます。蘇民将来は快く受け入れ、貧しいにも関わらず宿と食事のもてなしをしました。
次の日の朝、旅人は御礼とし蘇民将来の家族に小さい茅の輪を与えました。
そして、「これを腰につけておけば疫病からのがれられるでしょう。」と言い残し去っていきました。
この旅人の正体は疫病退散の神である素戔嗚尊であったのです。
素戔嗚尊が去った後、疫病がはやりました。その時、巨旦将来の家族は疫病に侵され死に絶えましたが、蘇民将来の家族はだれ一人病にかかることはなく、いつまでも元気に暮らしました。
このような言い伝えにより、茅の輪は夏越の大祓にて疫病除けの力がある祭具として使われているのです―
ー 人形について ー
❝人形❞とは?
大祓式が行われている神社に参拝した際、人の形にくりぬいた紙が販売されているのを目にしたことはありませんか?
これは「人形」と呼ばれるものになります。
人間の罪穢れを「人形」に移し、払い清めていきます。
では、実際にどのような作法で人の穢れを人形に移していくのでしょうか?
1.神社で配布されている人形を用意します。
2.人形に自分の名前と年齢を書きます。
3.名前を書いた人形を自分の身体に撫でます。頭・胸・足など全身を撫で自身の穢れを人形に移します。
4.人形に向かって息を吹きかけます。これによって心身の穢れを完全に人形に移します。
5.人形を神社に納めます。神職が納められた人形を浄化の儀礼で払ってくれます。
大祓の歴史
大祓の儀式は日本の伝統的な神道の儀式のひとつで、古代から存在しています。
この神事は、701年に宮中の年中行事として定められました。
701年とは、「大宝律令」が完成し、天皇を中心とした中央集権的な国家体制が出来上がった年に当たります。
これは、約1300年前から大祓が行われ、中央集権国家にとって大事な行事として大祓が採用されていることになります。
1300年前というと想像もできないくらい遠い昔に感じてしまいますよね。
しかし、その大祓式が1300年後の現在もこうして大事な神事として残り、神社にいけば自らも参加できるものであると考えると途端に身近に感じませんか?
是非そんなことも考えながら、半年の穢れをお祓いしにお近くの神社を訪れてみてください!
きっと心も晴れやかになると思います!!
ここまで大祓式は1300年前から行われていることをお話しました。
しかし、これよりもっと古い時代に大祓が行われていたことが『古事記』に記載されています。
『古事記』と言えば、711年に編纂された日本神話を含む日本最古の歴史書です。
大祓は、『古事記』中巻7の第14代天皇である仲哀天皇が香椎宮(現在の福岡県)で亡くなった際に登場します。
仲哀天皇は妻の神功皇后と一緒に熊襲(南九州の国家に反抗的な部族)の討伐で九州に遠征をしていました。
その際、二人は香椎宮に滞在することとなります。
ある日、仲哀天皇に「朝鮮半島に遠征に行け」という神託が下ります。
しかし、仲哀天皇は「自分の判断を信じる」と言い、神託を無視しました。
その後仲哀天皇はこの香椎宮で亡くなりました。
このことが記載されている部分を現代語訳に直したものを記載しました。
仲哀天皇の皇后である息長帯比売は、天皇の筑紫巡幸の折に神がかりになられた。
それは、天皇が筑紫の香椎宮にいた際、熊襲国を討とうとした時のことで、天皇が琴をお弾きになり、武内宿禰の大臣が神おろしの場所にいて、神託を乞い求めた。
すると皇后が神がかりして、神託をして言った。
「西の方に国がある。その国には、金や銀をはじめとして、目のくらむようないろいろの珍しい宝物がたくさんある。私は今、その国を服属させてあげようと思う」ところが天皇がこれに答えて言う。
「高い所に登って西の方を見ると、国土は見えないで、ただ大海があるだけだ」
そして偽りを言う神だとお思いになって、お琴を押しやってお弾きにならず、黙っておられた。
するとその神がひどく怒って言う。
「そもそもこの天下は、そなたが統治すべき国ではない。そなたは黄泉国への一道に向かいなさい」そこで武内宿禰の大臣が、
「畏れ多いことです。我が天皇様よ、やはりそのお琴をお弾きなさいませ」
と言った。
そこで天皇がその琴を引き寄せて、しぶしぶお弾きになっていた。ところがまもなくお琴の音が聞こえなくなった。
古代日本まとめより引用
すぐに火を灯して見ると、天皇は既にお亡くなりになっていた。
そこで驚き恐れて、御遺体を殯宮にお移し申し上げ、また国中から大祓のための幣帛を集めて、生剝、逆剝、畔離、溝埋、屎戸、上通下通婚、馬婚、牛婚、鶏婚、犬婚など罪の類をいろいろ求めて、国家的な大祓の儀礼を行ない、また武内宿禰が神おろしの場所にいて神託を求めた。
そこで神が教え諭したことは、すべて先日の神託と同じで、
「全てこの国は、皇后様のお腹におられる御子が統治されるべき国である」
というものであった。
現代語訳を読むと、仲哀天皇の亡くなり方に怪しさを感じますね・・・。
仲哀天皇が亡くなった後に、臨時ではありますが「国家的な大祓の儀式を行った」との記載があります。
仲哀天皇の没年は西暦に直すと200年にあたります。現在から約1800年前の出来事です。
これは大祓が1300年よりもっと前から行われていた可能性を示唆するものになりますね!
しかし、『古事記』の歴史書としての正確さは完全とは言い切れないので、諸説ありということでとどめておこうと思います!
まとめ
いかがでしたでしょうか!!歴史の中では宮中の年中行事として行われ、現在でも各地の神社で行われている大祓式ですが、意外と知らなかった理、身近に感じていなかった方も多いのではないでしょうか?
私もその一人で、神社に興味を持つまで全く知らなかったです・・・!!
今回ははじめて大祓を知ったという人から、大祓は前から知ってるよ!という人でも楽しんでいただけるような内容にしてみました!
「ここもっと知りたい!」や「毎年この神社の大祓式にいってます!」など皆さんからのコメントお待ちしております!!
皆さんは大祓についてご存じでしょうか?
神社では年中行事のひとつとして、正月と六月の年に二度行われるお祓いの恒例行事です。
今回ははじめて大祓を知ったという人にもわかりやすい内容でご紹介します!!
神社仏閣オンラインのYouTubeでも投稿していますので合わせてご覧ください!