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妙性寺(日蓮宗)近藤さん

たくみ

みなさんお久しぶりです!インターン生のたくみです!この度なんと、近藤玄純 和尚に神社仏閣オンラインの顧問になっていただくことになりました!近藤さんは、山梨県にある、日蓮宗 妙性寺の住職でありながら、建物なき寺院一般社団法人SOCIAL TEMPLE代表理事・山梨県内超宗派僧侶グループ「坊主道」代表も務められています。

仏教を広める活動を沢山されている近藤さん。そこにかける想いや、近藤さんの人柄を知るべく、インタビューを行いました!この場を借りて、その模様をお届けしたいと思います!どうぞお楽しみください!!

建物なき寺院『SOCIAL TEMPLE』

ーーまずは、えいしょうとの出会いについて教えて下さい

近藤:去年の4月ごろでしょうか。私は山梨県で建物なき寺院『SOCIAL TEMPLE』という一般社団法人を運営していて、コロナ禍での活動を『神社仏閣オンライン』で取り上げていただきました。これが最初の出会いでした。直接お会いしたのは去年の9月で、えいしょうさんが山梨まで来てくださりました。

ーー〝建物なき寺院〟は斬新で驚きました。そこではどういった想いを持って活動をされていますか

近藤:日本では「〝お寺〟をイメージしてください」というと皆さんはお堂などの建物をイメージすると思います。それが私たちお坊さんも含めた常識です。お寺=サンガの本来の意味は修行者の集団という意味です。社会課題の解決に寄与することを修行として捉え、お寺という建物は無いけれどもサンガとしての意味合いはある。そういう意味での「建物なき寺院」です。お寺=建物という固定観念に捉われてしまうと、お寺を維持するために宗教活動が行われてしまう。手段と目的が入れ替わってしまうんですよね。その結果としてお坊さんの使命でもある、仏教や仏様の教えを伝えると言う活動の優先順位が下がってしまう。お寺を維持すること、これは本来の目的ではないわけです。だから、固定観念にとらわれず、純粋に仏教を伝えていくことや社会に対して何ができるかを考え活動しています。それは1人ではできないけれど、志ある人たちが自分たちの仏道修行だと捉えて活動すれば、リソース不足も解消でき、結果必要とされそこではじめてお寺の存在意義が確立されると思います。

ーー形に捉われない宗教活動、感銘を受けました。活動の動機は、お坊さんとしての使命感ですか?

近藤:使命感というよりは、これは私の仏道修行です。本当は全部が人のためでなければならないのに、自分のお寺が生き残るようにって「自分のため」を考えてしまう。そんな自分自身に腹が立つ時もあります。元来私は自分自身のことをあまり好きじゃない。だからこれは、そういう自分を打破して変化をしていくための仏道修行でもあります。

上下ではなく、左右で比較する

ーーこの度は『神社仏閣オンライン』の顧問になっていただき、誠にありがとうございます!『神社仏閣オンライン』の活動のココに賛同した!という点があれば教えて頂きたいです。

近藤:まずは、えいしょうさん、種田さんが自分と同じ想いを持っていることを確認できたことですね。仏教や神社仏閣を、日本の文化的遺産として残していくチャレンジをされている、その想いに賛同して、関わらせてもらっています。あと、上から目線で申し訳ないのですが、私はえいしょうさんが好きで、えいしょうさんはいいお坊さんになると思っているんですよ。えいしょうさんは今、サラリーマンとして社会勉強をしているけれど、ここで学んだ社会での悩みが後々必ず役に立ってきて、素敵なお坊さんになると確信しています。だから、私の想いも含めて託したいし、次世代に繋いでいってほしいと思っています。

ーー沢山お褒めの言葉をいただきましたが、逆にえいしょうから見た近藤さんはどんな人ですか。

えいしょう:まずは関わっていただけることに本当に感謝です。特に近藤さんがすごいと思うところは、何の話をしても筋が一貫していることです。普通、色々な人の言葉を引っ張ってきて話しても、それって結局どれもその人の言葉じゃないから伝わりづらいんですよね。でも、近藤さんは自分の中に1本太い線があるから、どれも近藤さんの言葉のように聞こえてしまう。本当に1つの本が書けるんじゃないかと思うくらい。私自身もこうなりたいと思うし、本当に尊敬しています。

近藤:私は〝自分が実践する〟ということを非常に大切にしています。私の言葉のように聞こえると言ってくださるならばここに通じているのかも知れません。仏教の教えって、「こういう時はこうしたほうがいいよ」というスタンスで、それを実際に自分がやらないと腹落ちしないと考えています。自分が出来ないことを人にやりなさいとは言えないということです。お坊さんって、檀家さんたちより上の立場というイメージがあるかも知れないですが、私はそんな上下関係はないと思っています。むしろ、一つの円だと思っていて、自分は常に先頭であり最後尾でもあるということを、自分のモットーとして持つようにしています。檀家さんの姿を見て、もっと自分もちゃんとしなければと思います。ある時は檀家さんに、こういうやり方もありますよと伝える役割でもある。檀家さんだけでなく他人と共生している以上私たち人間は左右で比較していくことが大切だと思っています。

ーー上下ではなく、左右で比較することが大切ということですね!

近藤:人間に上下関係なんてないんですよ。娘から学ぶことなんていっぱいあるし、赤ちゃんを見て学ぶこともある。必ずしもお年寄りが偉いわけでもない。でも、他人を知ることは自分を知ること、自分を知ることは他人を知ること。差異を認められるように横比較することは、自分を知ることになるんですよ。

お坊さんの仕事は〝考えること〟

ーー近藤さんは、お寺の子として生まれてよかったなと思うことはありますか?

近藤:昔は、お寺の子に生まれたのがイヤでイヤで仕方なかったです。「坊主丸儲け」という誤解で、学校で馬鹿にされるのに耐えられなかったし、色々な事件があって宗教に対する嫌悪感も抱いていました。お坊さんは生き方で仕事ではないという方もいます。その通りなのですが現代では仕事でもあります。そして私はありがたい仕事をさせてもらっていると思っています。他人や自分自身とここまで向き合う仕事は他に無いと思うので。お坊さんは考えたり、問うことが仕事で、毎日仕事だけど毎日仕事じゃない。こうして考える時間を与えてもらっているのはものすごくありがたいです。社会的に言えば生産性のない時間だし無駄を過ごしているように見えるかもしれませんが、私はむしろ生産しない時間をいただけている事がありがたいと思っています。

近藤さんの考える〝いい社会〟

ーーお坊さんや仏教についてのお考えを沢山お話いただき、とても勉強になります。今度は逆に、社会の在り方について、お考えを教えて下さい。

近藤:そばで倒れている人を見過ごさない人が大多数になれば、いい社会だと私は思います。最近こんな図を描けるようになったんですけど、まず中心に私がいて、私の周りには家族とか近い人がいる。その周りにはもっともっと色々な人がいる。これをどの領域まで考えられるかという話で。例えば、家族のために尽くしますと言ったらいい人に聞こえるけれど、家族のためだけにマスクを買い占めたら悪い人じゃないですか。ということは領域が近いところまでしか考えられない人という事です。家族を愛するというのは聞こえは良いけどやっている事がそれだけならば他人に迷惑をかけているという事です。もっと外の、多くの他人の領域まで考えられる人だったら、そういうことはしない。それを1年や2年ではなく、長い時間軸で考えて行動していくことが大切だと思っています。私の住職寺は400年の歴史があります。しかし全国のお寺を見てみると歴史は浅いのですが、400年残っている企業は探しても簡単に出てきません。そう考えると、お寺には企業や社会にとって必要なヒントが沢山あると思っています。

神社仏閣オンラインの顧問は仏道修行?

ーー最後に、近藤さんにとって神社仏閣オンラインの顧問を務められることは修行ですか?

近藤

一緒にチャレンジさせてもらっているという意味では修行かもしれません。修行というとみなさんは辛く苦しいイメージを持たれるかも知れません。人と出会うことも修行です。私たち人間は結局の所出会いの中でしか学んではいけません。例えば、お坊さんの修行道場に入って鬼教官にいくら厳しいことを言われ腹を立てたとしても、それはその鬼教官に出会ったからこそ起こっていることです。忘れたいような出来事も全て今の自分を作る構成要素でしかない。仏教では学ぶということは全て縁があってはじめて起こる。沢山の人と出会っていくのは自分のためでもあり出会った人のためでもある。だから、えいしょうさんは私が居てありがたいと仰ってくれますが、私から見たら、こうしてチャレンジの場を与えてくれるえいしょうさんがいて、本当にありがたいです。
お互いの存在があって物事は始まるということですね。

ーー本日は貴重なお話を沢山していただき、本当にありがとうございました。

えいしょう:ありがとうございました!

近藤:ありがとうございました。

インタビューを終えて

たくみ

近藤さんの人柄や熱い想い、お分かりいただけたでしょうか。私自身が一番感動したのは、難しい質問や抽象的な質問をしても、常に堂々と、間髪入れず、直球で答えが返ってきたことです。明確な自分の考えを持ち、また常日頃からそれをレベルアップするための修行をされていることが、1つ1つの言葉から伝わってきて、本当に凄い方だと感じさせられました。

また、近藤さんにお話いただいたことは、仏教というカテゴリを外しても、人として〝いい生き方〟を示してくれる内容だと思います。身近なところにあって、正しい生き方を教えてくれる、これがまさに仏教の神髄であると、このインタビューを通して改めて感じました。近藤さん、本当にありがとうございました!そして、よろしくお願いいたします!!