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【 ビジネス✖️仏教 】謙虚さと卑下の違い

薫 かおり

今回のテーマは、謙虚さと卑下ですね!似てるようで、謙虚は良いイメージが、卑下は悪いイメージがなんとなくしますよね(・・ナギくんって卑下することあるのかな・・)

ナギ

オレだって卑下することはあるぞ

薫 かおり

え、あ、え?!なんで考えていることわかったんですか??(特殊能力?!)

ナギ

能力はないが、薫はよく目線と表情にでてるぞ

この記事内容を動画にもしております!

今回のテーマの選定理由

えいしょう

会話の中で、この頃は自分を卑下するセリフがサラッと出てくる自分に悩んでいました。謙虚さは生涯忘れることなく持ち続けようと思っていますが、それが卑下に繋がってしまわないように、この機会を機に頭の価値観を整理しよう!と思いトークテーマに選定しました。

今回の一番のきづき

謙虚は心が空っぽな状態

卑下は自分の慢心からくるもの

妄想に振り回されず謙虚を目指そう

薫 かおり

え、卑下って自慢したい気持ちからくるんですか?謙虚も空っぽにするってどう言う意味でしょう!?

少し噛み砕いて

謙虚の、「は虚しい(むなしい)、意味は「空っぽ」です。”謙虚に物事を受けとめる”とは、心を空っぽにして物事を見ることを表します。

近藤さん

仏教には、”ラベリング”という考え方があります。物事に相対するときには、勝手な判断(優劣・偏見)をしてないか、勝手にラベルを貼っていないかを意識しながら、なるべくラベルを外して、心を空っぽにして相対することが大事です。つまり、事実を主観的ではなく客観的に受け止めること、これが謙虚に受け止めるということです。

ナギ

たとえば、万引きがバレて捕まったときに、「自分は今日は運が悪い、ツイてない」と考えるのは事実を客観的に受け止めていなくて、そもそも万引きはルール違反だから、その受け止め方は謙虚さがないということだな

薫 かおり

なるほど!”心が空っぽ”というのは、妄想などを挟まずに、客観的な目線で物事をとらえている状態ですね!・・って妄想癖のあるわたしには”謙虚”はかなりハードルが高いのでは?!

人はよく”自分で作ったストーリー”に振り回されてしまいがちです。事実を超えたストーリーは時として、被害者意識を生みます。自分が生み出したある種の妄想が結果として、卑下につながることもあります。また、卑下は被害者意識だけでなく、自慢のときにも出てきます。

薫 かおり

これはどんな場合でしょう?

ナギ

そうだな、、ベテランのお坊さんAが若い僧侶B(だれがみてもベテランの方がキャリアがある)に対して、「いやいや、Bさんの方が断然優秀ですよ!」というと、卑しめて見下しているように見えるし事実その意図かもしれない。こんな場合だと思うぞ。

薫 かおり

なるほど、自分を落としているように見えて実はマウントをとってるよ〜!みたいな感じですね。レベルの高いテクニックですね(汗)

ナギ

上下や優劣で比べずに”横で比べること”、つまり違いをそれぞれの特徴とかんがえてどちらも対等だと考えるのが大事ということだろうな

薫 かおり

上下でなく横で比べるっていい考え方ですね!

目の前で起きていることは”それ以上でもそれ以下でもない”と考えるのは難しいことですが大事なことだと思います。妄想に縛られないで、事実だけを見ることで適切な判断が生まれてきます。

ぜひ卑下はせずに、謙虚を大事にしていきましょう!

他にどんなお話が出ていたか

とある研修で聞いた話です。「人間はすべて50:50で、いい点も50、悪い点も50。自分はいいところが60で悪いところが40、相手はいいところが20で悪いところが80な人間だなどと思っていると対等な立場での会話には成り得ない。自分のいいところを50、相手のいいところを50書き出してみてください」という話がありました。相手に50いいところを考えるなんてことは今までしたことがなかったです。横で比較するということは自分ではなかなかできてないし、自分のよいところ50もなかなか活かし切れてないなという気持ちになった研修でした。

よいか悪いかのジャッジって難しいですよね。なにをもってよい、なにをもって悪いは結構妄想が含まれやすい気がしますね。わたしはよい・悪いの話のときに、他人の目から見てよい・わるいはあまり意識しないようにするのがよいのではと思っています。

子供を叩いた親がいて、叩いたことは客観的に見てダメですが、なぜ子供が叩かれたのかを客観的に見れていない人が多い気がします。被害者と加害者を切り分けるのは楽ですが、良い悪いのように二元論的に考えるのは危険な要素もあるなあと感じています。”中道(ちゅうどう)”、極端に偏らないでいこうという仏教の考え方を前に聞きましたが、この言葉を意識することは大切だなと思っています。

卑下でいうと、どうせ自分なんか、とすねてしまうことって誰しもありますよね。。すねないためには、「自分はこれでいいんだ!」と自信を持つことが大事になるかとおもいます。まずは自分に価値があると自分自身が思うことが、卑下をなくすことの第一歩につながるのではと思いました。

薫 かおり

自分で自分の価値に自信を持つことってほんとに大事ですね!

わたしは講師の仕事をしていますが、どう伝えるかではなく、どう伝わったかを考えることがとても大切だと常々思っています。上手に話すことより、相手に内容が伝わっているかが大事だなと感じています。これもある意味で謙虚につながるのかもしれませんね。

本記事への感想集

猫ソフト
(大学生)

心を空っぽにして事実を見つめることが大切であるという考えは、根本的な心構えとして重要であると感じた。

人間はいい部分と悪い部分がどんな人でも50:50であり、自分に対しても、他人に対してもいい部分だけ・悪い部分だけを見て判断するのはよくないという指摘は、動画中でも言及されていたように善し悪しの判断が人によって異なるという点では引っ掛かりがあるかもしれないが他人をフラットに見ることにおいては持つべき視点であると感じた。個人的には、善し悪しの判断をすることに関して批判的な意見も出ていたが、ある人を複数人の視点から見たときにそれぞれ異なる要素が悪い50%に入っていてもその人のいい50%の方を認識しようとすることこそが大切だと思う(いい部分を無視しないこと・探ろうとする姿勢)。

クロワッサン
(中学生)

人は目の前で起きたことしか認識できない。しかも、自分の都合がいいように認識し、相手のことを下に見る。自分たちは無意識に上下関係を作ってしまっている。例えば、自分と違う考え方があった時に、口で否定はしなくてもその人の事を少し嫌な目で見てしまっている。その時に相手の悪い所しか見なかった自分がまだまだ傲慢だと感じる。

ちゅんちゅん丸
(中学生)

僕は自分の悪いところしか知らずに、その状態であきらめてしまっている人のことを『卑下している人』、自分のいいところと悪いところの両方を知っている人のことを『謙虚な人』だと思う。卑下は自分の悪いところしか知らずに自分が嫌になって他者に八つ当たりしている状態で、謙虚は自分の悪いところを理解しているからこそいいところが分かっており、やるべきことが分かっている状態のことだ。卑下は、自分の役割が分かっていない、いわば迷っている状態だ。自分のやるべきことやいいところが分かっていないからこそ誰かを見下したり馬鹿にする。だから、自分のいいところ、やるべき事を分かっていれば卑下→謙虚になるのではないかと思った。

極盛り・担々麺
(高校生)

人は何事も比べたがる、自分もよく相手と自分を比べている。しかし、比べること自体は悪くなく、その結果を受け入れ、自分や相手と向き合う事ができるか、受け入れることができず、目を背けるか否かで、その後の自分や周囲にどう影響を与えるかが変わってくると思った。実際に目の前で起きていることを、自分にとって都合がいいかどうかで判断してしまうことはすごく自分勝手なことで、自分とも相手とも向き合うことを諦めているなとおもった。その状況をしっかりと受け入れてフィードバックし、次の行動に繋げる事が大事だと思った。

Kさん
(社会人)

謙虚に物事を見るには、俯瞰的に自分を見る”もう一人のじぶん”が要るように思える。

自分のなかに自分が重なって居ると、感情が強烈で、それによってジャッジしてしまいそうである。それだと、客観的にいろいろな状況を見られないのではないだろうか?

一旦、自分を置いて離れてみて、他の人がその状況にあるような客観的で俯瞰的な視点で見て、その人にアドバイスするならどうするかを考えてみると良い気がする。

が、わたしがそうなるには修行が必要だ・・。

薫 かおり

わたしが思っている以上に、謙虚と卑下って大きく違ったんですね!謙虚でいよう!

ナギ

日頃の謎解きでも、薫の解くスピードはすごいからなあ、、謙虚なんてあっという間に習得するんだろうな

薫 かおり

あ、高等テクニックな卑下を使ってますね!!

義理と人情

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