鎌倉時代のイメージが強い言葉なのダ
今回のテーマの選定理由
昔の働く形・恩返しの形ともいえる、「御恩と奉公」。今回は歴史の先生もお迎えしてお話しを伺います!
今回の一番のきづき
「御恩と奉公」と逆のものとして、見返りを求めずにただただ与える「恩」がある。
対価を求めない「恩」を色んな人と受け渡しあって、自分自身の心を豊かにしよう!
「御恩と奉公」と真反対のきづきwww
これがいわゆる「反面教師」!
・・・なんか違うような、、
少し噛み砕いて
鎌倉時代の「御恩」とは、鎌倉幕府の将軍が、臣下である御家人たちに土地を与えたり、従来御家人たちが持っていた土地への権利を再保障したりすることです。これに対して御家人たちは、要地の警護や軍役によって将軍に「奉公」したのでした。そもそも「恩」という言葉は、「目上の人から受ける感謝すべき行為」を意味します。しかし、土地を媒介して主従関係を築く封建社会が定着してのち、主人への奉公に対する土地・金銭の給与といった意味合いも生まれてきました。
鎌倉時代の「御恩と奉公」は、何かを与えたら何かを受け取る、トレードオフの関係と捉えられます。仏教では、このように見返りを前提とした行為は「自利」、すなわち自分の利益のための行為だと考えます。一方、「利他」の行為もあります。それはいわば施しであり、見返りを求めずただただ相手に渡すことをいいます。「利他」の関係の中では、必ずしも恩返しをする必要はなく、また恩返しの対象が恩の贈与者である必要もありません。先人にしてもらった恩を、後輩に渡すこともあります。
仏教の修行者や求道者がみずから修行を積んで自身がその利益を得るものを「自利」といい、専ら部派仏教の修行者の場合をいいます。これに対し、生きとし生けるものの救済のために実践していくものを利他といい、自利と利他の完全な調和に大乗仏教の目的があります。大乗仏教では、利他によって見返りや利益を欲する心をなくし、その結果、自分自身の心を安定させることが重要とされています。
日本では、インド中国と伝わってきた大乗仏教が伝播しているのダ!
なるほど、、シンプルだけどわかりやすい!好みの問題だけど大乗仏教好きかも
その他に出てきたお話し
私はお茶をやっていますが、師匠に奉公するかわりに師匠から教えを受ける家元制度はまさに鎌倉時代の御恩と奉公だと感じました。歴史的にこうした関係があったのだと腑に落ちました。
公務員も年金じゃなくて恩給といいますよね。鎌倉時代のような『恩』の用法が残っていると感じます。
私にとって身近な『奉公』は、祖母の家にきていた奉公人です。三食付きで泊まり込み、給料はなし。でも独立するときにのれん分けしてもらえる。 これがさらに下の代まで続いていきます。当人同士はトレードオフをしているけれど、上から受けた恩を下につないでいく形でもありますね。
恩を受けて、恩を受けたことを知ることが大事で、だからこそ恩返しもできると思います。自分は、鎌倉時代の経済的な価値を受け取ることが大切ではなく、自分のことを考えてくれたという気持ちにも恩を感じます。金銭的な価値以外のもので繋がっている社会、仕組みを築いていけばいいと思いました。
御恩と奉公の名残りってあらためて見るといろんなところにあるのね・・!
ミカはもう少し玲から御恩をいただいても良いと思うのダ!
言ってるそばからめっちゃ見返り求めてくるwww
本記事への感想集
鎌倉武士の「御恩と奉公」と仏教の「利他」的な行動、どちらが良いというわけではないが、多様な人々と関係を結ばなければいけない現代では、後者の考え方が重要になってきそうだ。柔軟な「恩」のキャッチアンドリリースによって人間関係を安定させていくことが大事だろう。
鎌倉時代の御恩と奉公は『自利』に似ている。どちらもトレードの関係これを踏まえて自利(御恩と奉公)はいつかは途切れてしまうのではないかと考えた。なぜなら鎌倉幕府のように奉公されたから土地をあげる(明確には土地を管理、支配する権利)というようにしていると、いつかは与えるものが無くなってしまうからだ。それに比べて利他は、誰かから自分へ恩を、自分からまた別の誰かへ恩を、というふうに誰かが恩を忘れて途切れさせない限りは永遠に続いていくものだと思った。
僕はよく家で、〇〇してあげてるんだから感謝してよ、というようにお母さんに言われるがお母さんは恩を恩で返す(やってあげたから何かして)というより恩は感謝するものという考えがあってこの言葉を言っていたのかな…と思った。
今当たり前のように過ごせるのも裏で支えてくれている方々がいるから。そういう所に目を向けられれば、恩に気がつけるかもしれない。
利他の説明の中で「対価がなくても動く関係性」という言葉が出てきて、自分も「人として」こういう行動が出来たらなと思った。
自利と利他の話しの中で、「いかに見返りを求めずに行動できるか」というワードが出てきた。個人的に見返りを求めること自体は問題ないと思って、見返りを目的に行動することが、自利と利他のどちらともそぐわないと思った。
そもそも御恩と奉公とは、鎌倉時代に将軍と御家人を結んでいた、土地や地位を与える代わりに(軍事的)奉公をする、封建制度の仕組み=自利的関係⇔相手に見返りを求めない利他的関係。御恩と奉公はビジネス的関係であるが、そこに忠誠心(精神的奉公)も求められる。この構図は現代の企業やコミュニティー形成でも同じで、ビジネスの側面(金銭が関わる)では会社⇔労働者間の確固たる自利的関係(給料=御恩)が必要で、これが崩れれば平等性が失われるためコミュニティー維持には不可欠だが、人間関係の側面では上司⇔部下間で普段のコミュニケーションの中で利他的関係を築くことによって信頼関係(=部下から見れば忠誠心、精神的奉公)も生まれる。以上のことから、御恩と奉公の関係性は現代のビジネスの場面にも置き換えることができ、コミュニティーの維持には自利的関係の形成が不可欠であるが人と人との間であれば利他的関係の形成が重要であり、これは自利的関係を補強する役割を持つと考えた。
歴史の授業のような回だったのダ
まーたえらく古風なテーマね!