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長谷寺/紀貫之
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
〖あなたはどうでしょうか。 他の人の心はよく分かりませんが、昔なじみの この里の梅の花は、昔のままの香りを匂わせていることですよ。〗
この歌は『土佐日記』の作者でも知られる紀貫之の読んだ歌です。
現在の奈良県にある長谷寺に参詣する際に常宿していた家でのやりとりです。
この家の女主人から「宿はちゃんとありますのに(おいでにはなりませんでしたね)」と軽い皮肉を言われた時に読んだのがこの歌です。
ここでの「花」とは長谷寺の梅の花のことです。
貫之は梅の花を手折ってこの歌を詠み、女主人はこれに対して「花だにもおなじ心に咲くものを植ゑたる人の心知らなむ」(花でさえ昔都同じ心で咲くのだから、その木を植えた人の気持ちも分かってほしいものです)と歌を返したようです。
この歌をきくだけで梅のにおいが香ってきそうですよね!
長谷寺は現在、「花の御寺」として有名です。桜や梅、紫陽花も見れる場所で、日本の四季をたんまりと感じれる場所です。
ぜひ長谷寺を訪れた際には、この歌と共に境内を眺めてみて下さい!
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
ご利益 | 開運招福 諸願成就 縁結び |
住所 | 〒633-0112 奈良県桜井市初瀬731−1 |
アクセス | 近鉄大阪線長谷寺駅を下車、徒歩15分 |
大覚寺/大納言公任
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なお聞こえけれ
〖滝の流れ落ちる音が聞こえなくなってずいぶん経つけれど、滝の評判だけは流れて伝わり、今もなお人々に聞こえているんだなぁ〗
この歌は大納言公任が当時左大臣であった藤原道長や藤原斉信、藤原行成らと大覚寺滝殿に散策に出かけた後に詠んだ歌です。
大覚寺はもともと嵯峨天皇の別荘であり、その当時は庭園に美しい滝が流れていました。
公任らが訪れたときにはもうすでに滝は枯れていたのですが、その枯れた滝の姿を見て
「滝の音は聞こえないけれど、その評判は今も世間に伝わっていますよ」
と昔の滝が流れている姿を想像しながら詠みました。
大納言公任は博学多才で漢詩、和歌、管弦楽の3つの才能を兼ね備えた「三舟の才」として知られ、平安時代の文化を担う人物でした。
百人一首に選ばれたこの歌からも公任のその想像力の豊かさが伺えますね!
歌の題材ともなったこの滝跡は現在も『名古曽滝跡』という名前で残っています。大覚寺の庭には大沢池という大きく美しい池があり、その付近で見ることができます。
大納言公任のように滝の音が聞こえていた頃の事を想像しながら巡ってみるのもきっと楽しいでしょうね!
本尊 | 不動明王 |
ご利益 | 除災招福、無病息災、息災延命 |
住所 | 〒616-8411 京都府京都市右京区嵯峨大沢町4 |
アクセス | 嵯峨嵐山駅から徒歩10分 |
伊豆山神社/相模
恨みわび 干さぬ袖だに あるものを
恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
〖つれないあなたを恨み、涙で乾かない袖が朽ちてしまうのもくやしいのに、その上浮き名が立って朽ち果ててしまう私の名が惜しいのです〗
こちらは相模が歌った恋の歌です。相模は源頼光の娘で相模守の大江公資の妻でありました。
夫の任国の相模ヘ一緒に下りましたが夫の浮気や不仲が原因で自身の孤独を歌にして読んでいました。
大江公資と別れた後は権中納言藤原定頼、源資道、橘則長などと恋愛に発展していますがどれも上手くいかず、恋多き悲恋の女性歌人として知られています。
熱海にある伊豆山神社はそんな相模と関係の深い神社です。
相模は浮気する夫への不満やその心情を詠んだ歌を100首社の下に埋めたそうです。すると後日権現(当時は伊豆山権現)から返歌の100首が届いたといいます。
百人一首に選ばれている歌は後冷泉天皇主催の歌合の際に『恋』をお題に詠まれたものなので直接この歌と関係があるわけではないのですが、恋愛経験豊富な相模は相模国に居た時のことを思い出してこの歌を詠んだのかも知れません。
伊豆山神社に参拝すれば歌だけでは分からないその時の相模の切ない気持ちが伝わってくるかもしれませんね。
本尊 | 火牟須比命 邇邇芸命 |
ご利益 | 強運守護 福徳和合 縁結び |
住所 | 〒413-0002 静岡県熱海市伊豆山708−1 |
アクセス | JR熱海駅より七尾方面行きバスにて約10分→伊豆山神社前下車 |
上賀茂神社(賀茂神社)/従二位家隆
風そよぐ 楢の小川の 夕暮は みそぎぞ夏の しるしなりけり
〖風がならの葉に吹いて、そよそよと音を立てている。 ならの小川の夕暮れは、秋のように涼しいけれど、みそぎが行われているのは、夏のしるしだなぁ〗
こちらは鎌倉時代初期の公家であり、歌人である藤原定家の詠んだ歌です。
この歌の「楢の小川」とは京都市北区の賀茂神社(現在の上賀茂神社)の境内を流れている御手洗川を指しています。
風がそよそよと吹いているこの楢の小川の夕暮れは秋のように涼しいけれど、六月末の夏越しに行う禊が行われている。という夏の川の涼しさを感じられる歌です。
「楢の小川」は現在も上賀茂神社の境内に残っています。
今でも川や風の音は聞こえてきます。そこには千年前と変わらない空間が残っています。
上賀茂神社を訪れた際には、この歌を思い出して川の音や風の音に耳を澄ませてみるのも良いと思います。
夏だけれど秋のように涼しさを感じられるかもしれません。
御祭神 | 賀茂別雷大神 |
ご利益 | 厄除 災難除 開運 |
住所 | 〒603-8047 京都府京都市北区上賀茂本山339 |
アクセス | 地下鉄烏丸線 北山駅より徒歩15分 |
関蝉丸神社(上社・下社)/蝉丸
これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関
〖これが都(京都)から東へ下っていく人も、都へ帰ってくる人も、顔見知りの人もそうでない人も逢っては別れ、別れては逢うというこの名の通りの逢坂の関なのだなあ〗
この歌は平安初期の歌人、蝉丸法師が詠んだ歌です。百人一首の中でもかなり有名な歌で、皆さんが幼少期に遊んでいたであろう坊主めくりでも知っている人は多いかもしれません。
逢坂の関は奈良時代に山城国(現在の京都府)と近江国(現在の滋賀県)との境に位置する関所です。
ここを舞台に蝉丸は、「知ってる人も知らない人もまたここで会う」という無常感の漂う歌を詠みました。
そんな蝉丸ですが、後に「逢坂の明神」として神格化されました。
「逢坂の明神」として蝉丸を祀ったのが滋賀県大津二鎮座する関蝉丸神社(上社・下社)です。
滋賀県には関蝉丸神社(上社・下社)の他に蝉丸神社もあり、総称して蝉丸神社と呼ぶ場合もあります。
蝉丸の人物像は不祥ですが、盲目であった蝉丸が開眼する逸話にちなみ、眼病に霊験あらたかであったりと、千年以上前に生きていた蝉丸を近くで感じられる神社です。
近くには逢坂の関記念公園や蝉丸神社もありますので蝉丸の歌を思い起こしながら、一緒に巡ってみるのもいいかもしれません。
御祭神 | 蝉丸大神 猿田彦命 豊玉姫命 |
ご利益 | 音曲上達 交通安全 災除 商売繁盛 病気平癒 |
住所 | 〒520-0054 滋賀県大津市逢坂一丁目20(上社) |
アクセス | 京阪大谷駅徒歩5分(上社) |
まとめ
いかがでしたでしょうか?日本の大切な伝統である『百人一首』は神社やお寺とかなり関係が深いことが分かりますね!
今回は5選ということでかなり絞りましたがまだまだ神社やお寺が関係している和歌がたくさんあります。
和歌を読み解くだけでも面白いのに実際に足を運んで和歌を感じれるなんて最高ですよね。
ぜひ今回取り上げたものの中で気になった場所がありましたら、歌と一緒に訪れてみてください!
日本の古き良き伝統である和歌。その中でも私たちに身近なものは『百人一首』なのではないでしょうか。私も幼い頃に坊主めくりなどで触れてきました!
今回はそんな百人一首に載っている和歌と関係が深い神社仏閣を5つに絞りご紹介!これを見て歌人たちと千年越しの旅をしましょう!