玲にそんな瞬間があるとは思えないのダ!
え、なにゆえに?笑
この記事の内容を動画にもしております!
今回のテーマの選定理由
このサロンの前に、デス・カフェを東京で実施していて、そのときに社会課題としての「孤独死」の話が出てきました。人生において、孤独でない瞬間が一度もない人はないだろうな。。経営者も孤独なときは多いです。孤独とどう付き合うのが人生においてプラスになるのかを知りたくて、本テーマを選定しました!
今回の一番のきづき
人は根本的に一人である。
そのことを自覚して、他者との関わり方を選ぶべき。
おお!?冒頭はなかなかに厳しめの言葉ね
選ぶってところが気になるのダ
少し噛み砕いて
私たちは本質的に孤独であり、この事実を受け入れることが重要です。人生は、1人で完結するものです。
でも、前の記事(自分とは)で人と関わることが大事と書いてあったのダ!
え!?ミカちゃん前回の記事ちゃんと読んだの!エラい!!
ミカちゃんの言う通り、他人との関わり合いを通じてのみ、自分自身を深く知ることができます。ここで大切なのは、付き合う他者を選ぶことがとても大切です。
お釈迦さんの言葉に、「今の人々は自分の利益のために、交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。」というものがあります。損得の関係のみで繋がっている人は、なかなか真の友とは言いづらいものです。
とはいえ、現代社会において、関わる人を自分の意思で選びづらい社会であることも事実です。それぞれの人が求める関係性に辿り着けるように、1人でも取り残さない取り組みをすることが大切になるのではないでしょうか。
根本的には1人で歩くことが大事ですが、1人で歩き出せるように、周りが助け合い、支えることもときには大切です。仏教ではこれを慈悲(じひ)といいます。
どんなお話だったのか
仏教は1人で生きていくことの大切さを伝えています。家族、友人、同僚、村人、いろんな関係性の人がいるが、結局のところ自分は一人だと自覚することを求めます。とはいえ、この1人というのは、コミュニティに属すること自体を否定はしていないです。友はしっかり選んだ方がいいですが、コミュニティがないと自分を知ることは難しい。自分で選んだ上で、コミュニティに属して自分を知っていきましょう!
また、どんな人を友とすべきかというところもあります。そこでは、損得を考えないで付き合える人が仲間になると記載されていいま。目先の利益ばかり、自分の利益ばかりを求める人とは一定の距離感を大切にしながら、友と呼べる人は損得とは異なる次元でもわかりあいができる人がよいということを伝えています。
損得のない関係をつくるのって大変ですよね、、。小さなころの友人はそういった関係性の方が多かったなという印象はありますが、大人になってからはなかなか大変だと思います。1つのいい方法として、人間がこの世界にいるのは世界にとって有益なのか?など、利益というものの規模を大きく考えれば考えるほど、目先の利益がばからしく思えてきて、いい意味で概念をとっぱらってお話しができるという話がありました。
子供の頃はコミュニティから抜け出すことが難しいかったですが、大人になると自分に合わない環境から離れる選択肢が見えてきますよね。最初の話にもつながりますが、自分で選ぶのも大切になってきそうです。
経営者は、孤独を感じることが多いですよね。一般的な孤独と、経営者としての孤独の違いをいうのであれば、社会的な責任とモラルに従った行動を求められることではないでしょうか。「あの人経営者なのに⚪︎⚪︎してたわよ」と言われないように気を張るのも大変なものですね。
私は、経営者とプライベートなど、状況に応じて異なる「顔」を無意識に使い分けてますね。そうしていると、孤独を感じる瞬間にリフレッシュをもたらすこともあります。「顔」を作り、切り替える。これは一つのメンタルを保つコツになると思いますよ。
孤独は耐えられるものですが、孤立は耐えがたいものです。集団の中で浮いてしまっていると、「他の方から信用されていないのかな、、?悪いこと言われてないかな、、?」という不安がでてきてしまいます。
孤独の状態と孤独を感じる心の苦しみは別物ですよね。自分を100%受け入れてくれる相手がいればない心配でしょうけど、実際にはそうした存在はほとんどいないですし。大人になると、自分自身を100%受け止めてくれるものは、実質自分自身だけになりますよね。
本記事への感想集
話を聴いていて1つ思ったのが孤独という考えが間違っているのではないか、ということだ。自分という人間を形作る上で他者との関わりは必須なので誰かしらとの関わりは持っているはずだ。その関わった人が自分にとってどんな人なのかというのによって変わってくるかとは思うが、その人と関わって得たものは必ず自分の中に残ると思うので独りではないのでは?と思った。ただ問題は自分は他者との関わりで形作られていくということに気づいていないということだ。そこで思ったのが自分はだれかとの関わりがあって形作られているということに気づいていない人のことを「孤独」というのではないのだろうか。
孤独という状態と孤独を感じる心の2つがあると思った。孤独ではない状態は自分を受け止めてくれる人がいるのが孤独ではないと言えるけど、結局は本当の自分を受け止めれるのは自分しかいないと思った。だから自分は孤独とどのように向き合うかが必要であると言っていたのだと思う。
仲間とは、損得を考えないで付き合える人である。自分の利益のみを追いかける人とは距離感を考えて接するのが妥当というのは強く共感する。
「場所、関わる人などの環境が変わるとリフレッシュになる。いい意味でその環境に依存している。」という話が出てきて、確かにずっと同じ人とだけ関わっていたらメリハリがつかなくなってきて疲れてしまうし、適度に、互いにちょうどいい塩梅の頻度、距離感でいるのが人と人との付き合いとして適していて、わざわざ孤独に向かわずに済むのではないかと感じた。
助け合いの心、慈悲の考え方に安心したのダ!1人だとたまに不安なのダ
・・・そうね〜わたしもミカちゃんが1人は不安かもなぁ
なんで玲が不安なのダ?
今回のテーマは、「孤独との付き合い方」ね。孤独って辛いイメージが強いけど、ときには一人になりたいことってあるわよね〜